「教育で語られがちなこと その奥にあるもの」読書レビュー①〜学級目標は必要か〜

読書

先程の投稿でお伝えした通り,これから少しずつ本書の

読書メモを共有していきます。

 

今回は第1章の「学級目標は必要か」というテーマについてです。

 

皆さんは,学級目標を作っておられますか?

私は,今年を含めて3年間毎年作っています。

その理由として,

学級目標=教師の願い+子どもたちの願い

だと考えているからです。

お互いの願いが合わさってできた学級目標には,

血が通っていて,担任にとってだけでなく,

子どもたちにとっても日々意識でき,忘れられないものになると思っています。

 

そのような考えをもった状態で今回この章を読み,メモをしてみました。

私がとったメモはこちらです。

普段は紙に書き出すことも多いのですが,今回はiPadに入ってある「フリーボード」というアプリを使ってみました。(無限に広がるボードという感じで,読書ノートにはもってこいだなあと思いました!)

 

渡辺先生,古舘先生お二人の考えをベン図上に表し,共通点を見つけました。

渡辺先生は,

目標=通過点
目的=ゴール

と一見似ている2つの言葉を定義されていました。

その上で,集団よりもまずは「個が立つ」ことの重要性を説かれていました。

「【個の成長】なくして集団の質の向上はない」と。

 

私は正直,「学級目標は年度当初に当たり前に作るものだ」と思っていましたが,ここに担任としての確固たる意図はありませんでした。

というか,先輩の先生に「学級目標は作った方がいいよ」と言われていたので,「そういうものなのか」と思いながら初任者の時から作っていました。

 

学級目標があるかどうかよりも,重要なことがある。

渡辺先生は本書の中で「学校に来る目的」について

「賢くなるため」と「かっこよくなるため」

という2つを挙げられていました。

「賢くなる」は,今までできなかったことができるようになった,分からなかったことが分かるようになったなど,頭や体が成長することを指しています。

一方「かっこよくなる」とは,「容姿のスマートさ」というよりも,「ふさわしい」「ぴったりな」という意味で述べられており,心の成長を表しているとのことでした。

 

このように,クラスとしての大同団結を目指した学級目標よりも,大目的である「学校に何しに来るのか?」を問い子どもとともに考えていくことの方が重要であると学びました。

 

学級目標に限らず,学校現場で当たり前のように行われていることや,慣習の中には,目的がはっきりと共有されていない場面もあると思います。

その時に,「あの先生もやっているから自分も…」という考えや,「この学校の当たり前だから…」などと,思考停止で行動するのではなく,

「目的【ゴール】」は何か?

を確定させてから行動を決定する必要があります。

自分自身,まだまだその選択が十分にできておらず,間違った選択をしてきたこともありますが,このような意識をもって明日からまた頑張ります。

目的がはっきりするからこそ,エンジョイマインドをもって教職を全うすることができるのではないでしょうか?

 

何のために,何のために,何のために…

目的を考える習慣を共に身につけましょう!

 

 

 

 

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